サラリーマンをやっていると社内でのポジションに応じてコスト意識を持てと口を酸っぱくして言われるわけですけれども。しかし一度冷静になってちゃんと正しいコスト意識とは何なのか考えてみるべきだと思うわけですよ。
会社のコストなんてどうでもいい
まず多くの人が勘違いしている点その1。
会社のコストなんてどうでもいいんです!
我々は会社のために働いているのではありません。それは会社が沈むと共に沈んで行くようなポジションの人間でなければそこそこ偉い管理職とて例外ではないでしょう。
必然的に”コスト”とは何ぞやということになれば当然我々の労働力ということになります。時間、体力、仕事用に揃えた衣服や備品なんかも経費で落ちていなければ全て該当することになるでしょう。
自分が掛けているコストに対して賃金の額が妥当であるか否か。常にそこに気を配る。
それがコスト意識です。
成果など全く関係ない
多くの人が勘違いしている点その2。
賃金は成果の対価ではない。
労働の対価です。まだ寝ていたい体に鞭打って決まった時間に起きることを強いられる。行きたくもない職場にわざわざ公共の交通機関を乗り継いで出向く。長時間苦痛に耐えながら興味もない仕事を文句も言わず進んでこなす。挙句の果てには意味不明な理屈で罵倒されたりもする。
理不尽極まりない。
それだけで賃金を得るに十分なコストを我々は支払っているのです。人間を捕まえてきて意のままに労働をさせるという行為がそんなに軽いものであって良いはずがありません。
我々の労働の結果、仮に売上が上がってないとか、契約が取れてないとか、進捗が遅れているとか。何一つ恥じることはありません。堂々と賃金を受け取りましょう。
コストパフォーマンスを意識しよう
このご時世、会社は簡単に賃金を上げてくれたりしません。ならばどうするか。簡単です。
パフォーマンスを下げるんです。
以前イギリスの盗難事件で犯人が居ると思しき場所を確認しなかった警備員が「それ以上詳しく調べるほどの給与をもらってない」と主張した、なんて話も聞きましたが、そんなもの至極当然な話ですね。
自分で納得できる賃金に見合った分だけ働けば良いのです。それ以上は蛇足。要らぬ世話というものです。
会社を甘やかしてはいけない。
人が会社のために働いてくれるなどという素頓狂な考え方を当たり前だと思う輩が跋扈している昨今ですからね。アタマのおかしい連中は叩き直してさしあげなければなりません。
おわりに
とある労働組合では”給与”ではなく”賃金”と呼べ、なんていう話がされていたとか居ないとか。給わり与えられるものではないとかなんとかで。
そんなカッコイイことが言えるならもうちょっと闘え!
とツッコミたくなりましたが。このご時世どこの労働組合も御用組合ですからねぇ。困ったものです。謎の政治活動してみたりとかなんで変な組織になっちゃったんですかねぇ、労働組合って。普通に労使交渉に全力で当たってくれればいいだけなのに。
それではまた!