「やりたくないことをしない」が人を幸せにする

2017年5月29日人生観

幸せとは何ぞや。自由とは何ぞや。そう、人生とは常にやりたくないことを強いられることとやりたいことを実現することのトレードオフで出来ているのです。さぁ、あなたの幸せとは?

例えば仕事

人は何故働くのか。細かい事情は人それぞれあるかと思いますが、基本的にはお金を稼ぐため。普通のサラリーマンや自営業者、大きな会社の経営者等働き方は様々あるかと思いますが、仕事というやりたくないことに耐える代わりに収入を得るのが基本の仕組み。

中には仕事が楽しくて仕方がない人なんかも居るのでは?などという声も聞こえてきそうですが、それは100%間違いだと断言出来るでしょう。仕事としてやっている事(内容)が楽しいという人はいるでしょうが、「それで稼がなければならない」という縛りが無くなればもっと楽しいはず。仕事としてやっている以上楽しさの欠片で我慢しているに過ぎませんよね。

やりたいこと

人間がやりたいと思うことは消費行動、すなわちお金を使うことで大半が実現されます。

食べたいものを食べる、安心して眠る、衣服で寒さを凌ぐなどの本能的な欲求を満たすことはモチロンのこと、異性と付き合うのも、ブランドものを身につけて見栄を張るのも、映画やゲームなどの娯楽を楽しむのも全て消費行動です。

それこそ何かを勉強するのだって、スポーツを楽しむのもストイックに体を鍛えるのも、健康診断や通院で健康を維持するのにもお金はかかります。

やりたくないこと

仕事というのはやりたくないことの塊です。そしてその全てがやらなければならないことです。我々は強いられています。強制されています。抑圧されています。

サラリーマンなら毎日同じ時間に同じ場所に行き、殺したい程憎いはずの上司のクソみたいな指示に笑顔で応えなければならない。クソみたいにアタマの悪い客にへりくだらなければならない。

職種によっては随分マシになったとは言え、服装も自由には出来ない。自由な言葉遣いで話すことも出来ない。クソ暑い中、クソ寒い中外回りに出なければならない。オフィスに居るかと思えばエアコンの設定温度すら自由には出来ない。

自分に非が全く無いことにも関わらずアタマを下げなければならない。他人の仕事であってもやらなければならないこともある。

自営業者や経営者とて同じこと。

いつ何時自分のビジネスが立ち行かなくなるかと気を抜けない。従業員が思った通りのパフォーマンスを発揮してくれない。あまつさえ不正を働くかも知れない。銀行がカネを貸してくれない。行き詰まっても誰も助けてくれない。

トレードオフ

換金レートは人様々。自分の時間、労力、心を仕事に費やすというやりたくないことと引き換えにお金を得て自分の欲求を満たす仕組みです。

あなたのバランスはどうなってます(゚Д゚)?

例えば結婚

生涯未婚率の上昇が話題になる昨今。結婚とてやりたいこととやりたくないことのトレードオフなのであります。比較的ヘビーなね。

ちなみに子供をもうけること、子育てに関しては男女で根本的に幸せを感じる仕組みが違うので今回は触れずに置こうと思います。

やりたいこと

一般的には幸せなこととされる結婚。

愛するパートナーと共に過ごせる幸せ。籍を入れる、結婚式を挙げる、新婚旅行へ行く、新居を構えるのも楽しいことでしょう。一つ一つが人生の中で大きな思い出として残ることでしょう。

経済的なメリットもあるでしょう。共働きが一般的になって久しいですが、当然1馬力よりも2馬力の方がゆとりが生まれますし、片方の仕事がうまく行かなくなった場合でも収入が途絶えることがなくなります。

世間体がよくなることも見逃せません。晩婚化、非婚化が進む現代にあっても、恒例の独身者は男女問わず好奇の視線にさらされているのが現実でしょう。結婚すればそれがなくなります。ルックスが今ひとつの人間であっても、結婚さえしていればなんとなくまともな人間だと思われるように世の中出来ているらしいです。

やりたくないこと

共に過ごすことは無条件に幸せではありません。パートナーの束縛に耐えなければならない、逆に自分の束縛に答えてくれないことにフラストレーションを感じる。

パートナーとの距離感は年齢や子供の有無、労働環境や家庭の周囲の環境によって常に変化していきますし、その変化は自分とその周囲にとどまらず、パートナーとその周囲、或いは時代の変化によっても影響を受けるものです。

人間は本質的に自分の望まない変化を嫌います。自分でコントロール出来ない要因によって自分が変化することを強いられるのは計り知れないストレスでしょう。

食事や睡眠を自分の好きな時に好きな分だけ取ることが出来ない。家事を自分のペースでできなくなる。欲しいものを買うのにもパートナーとの合意が必要になるケースも多いでしょう。

そして互いの主張が衝突した際は歩み寄る努力を最大限しなければならない。ま、当然といえば当然でしょうけれど。

親戚づきあいってヤツも相当ストレスでしょうね。時代が変わってもまだまだ結婚は家と家がするものであるという文化は根強く残っているでしょう。訳の分からないおっさん、おばはん、じじぃにばばぁの相手を笑顔でしなければならない苦痛たるや想像に難くない。

トレードオフ

愛を求めるか利を求めるかは人それぞれでしょうけれど、結婚生活もまたドレードオフ。

あなたのバランスはどうなってます(゚Д゚)?

「やりたくないことをしない」が人を幸せにする

前置きが長くなりましたがここからがこの記事の主張。やりたいこととやりたくないことは例として挙げたモノ以外でも様々な場面でトレードオフになっていると思います。そんな中で幸せを最大化させるためには「やりたいことをしない」を徹底すると良いよ、というお話。

「やりたくないこと」は確実に幸せを削る

仕事は人を幸せにしません。それは仕事が仕事である限り動かしがたい揺るぎない事実。自分の意に反して望まぬ何かを行うことは確実に人の心を幸せから遠ざけます。

どれほど特殊な性癖を持ち合わせていようとも、強いられること、抑圧されること、屈服すること、自分を殺すことが幸せにつながることなど100%ありえません。

「やりたくないことをやる」など無ければ無いほど良いのです。

人の欲望には際限がない

人が完全に満足する状態等ありません。せいぜいお腹いっぱい食べて今はもう食べられない、みたいな一時的な満足感がある程度です。

例えこの世の全てを手に入れたとて人は満足しないのでしょう。

目に見えるモノ全てを手に入れることができ、世界の全ての技術者が自分を幸せにすることを目的に技術開発、新製品の開発を行う。

全ての異性が自分を心から愛し、自分の気分を害さぬように互いに配慮しながら自分に尽くし、(特殊な性癖がある場合はどんなプレイも思いのまま、)互いに妬まず、憎み合うこともない。

全ての人が自分の考えに賛同し、時には心地よく窘めてもくれる。そして他者の賞賛・羨望に堪えるだけの実力(すなわち教養・思考・身体能力・外見などなど)が自分自身にも備わっていて、それを自分自信で認識し、自覚し、納得している。

みたいなフィクションの世界に身を置いていても人はきっと満足しないのだと思います。然るに、人のみで手の届くささやかなもので満足を得ようとするのはあまり合理的とは言えないでしょう。

人の心はコスパが悪いのです。

諦めることは簡単だ

だから頑張ってみよう、などと言うつもりのワードでは毛頭ありませんが。手に入らないモノを諦めることは文字通り意外と簡単なんですよ。

周囲の皆が羨むような容姿端麗・才色兼備な嫁や旦那が欲しいと思ったことがある既婚者は多々いるでしょうが、みんな何だかんだ色んな欠点があるパートナーと(例外はあれど)納得して結婚していっているでしょう。

高い時計が欲しい、一等地の大きな家に住みたい、最新鋭のハイスペックPCが欲しい、などなど色々ありますが、仮に手に入らなかったとしても自分の手の届く範囲のもので納得しているはずです。住めば都なんてことわざもありますし。

自分は妥協を強いられている!コレでは満足出来ないんだ!と言ったものは極々限られたものであって、大体のものは手に入ったもので満足しているでしょう?

逆に我慢出来ないものは病気です。依存症です。アルコール、タバコ、ギャンブル、薬物。生きていくのに必要な衣食住を除いてどうしても無いと我慢できないものがある、欲望を制御できないものがあるというのは病的なものですよ、大体。

故に

「やりたくないことをしない」が人を幸せにする。

簡単に諦められることを無理して追い求めずに、確実に幸せを削る要因を排除していく。考えてみれば明らかな理屈です。

大してリターンも無いのにやりたくないことを我慢しやっていたりしませんか?一度自分の生活を見直してみても良いのでは無いでしょうか。

おわりに

というわけで私は早期リタイアを目指しますし、今後も結婚の予定はございません。というオチ。嘘偽りの無い自分の考え方でございます。

自分の考えを最後まで文章化して投稿出来るのがブログのいいところ。如何に仲の良い友人といえどこんな話を自分の言いたいことが言い終わるまで長々と聞いてくれる人は居ないでしょう。

議論がしたいわけでも自分の考えを広めたいわけでもありませんが、どこかの誰かがコレを読んで、「あ~そうだよね」と思ってくれる人がいればそれで十分ですよね。

そしてどこかの誰かの「あ~そうだよね」が存在することを確かめることもまた簡単に諦めることが出来ます。それを確かめるためにどうでもいいイチャモンに耐えるなんて馬鹿らしいのでコメント欄は解放していないのですよ、とかね。

「やりたくないことをしない」というのは嫌いなもの、不快なものを視界から消していくことでもあるのですよ、と。

それではまた!