親子の絆の儚さを認識すべし

私も歳を取りました。親はもっと歳を取っております。母は既に他界しておりますが父はまだまだ健在。比較的健康なので直近どうこうという状態ではないですが果たしてこの先どうなのか、ということであります。改めて現在の自分自身にとって親とはどういう存在なのか。

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親を看取ることが最後の難関

あまり他人と話すことでもないですし、ましてや本人と話す機会もなかなかない。話したほうが良いことなのかどうかもわからない・・・いや、話す必要などないでしょうね。

私自身は35歳。住宅ローン完済後はある程度の貯金と軽めの仕事でゆるく生きていく予定です。将来像をそのように描いているというよりは具体的なプランとして固まりつつあり、予定通りに進捗させていくフェーズに入っています。

結婚を考えたこともなく、これからどうなるかわからない等と悠長なことを言う段階も過ぎたのではないかと思います。まぁ最初からそのつもりはなかったので今更考えが変わるとは思えませんしね。当然子供いるなんてこともないので残されたライフイベントと呼べるものは極々限られてきます。

正直な感覚としては「親を看取る」位のもの。

これが最大にして最後の難関だと考えています。わかりますかね。難関なんです。

「後は死ぬだけ」になりたい

自分が、ですよ。

親を看取らないと「後は死ぬだけ」とは言えないんですよね。父と不仲なわけでもないですし、父の価値観がどうなのかは正直知りませんが、外から見れば普通の価値観の人間だと思いますので最期は子供に看取られてささやかながらも普通の葬式を挙げられて母と同じ墓に、的なことを考えていることでしょう。

孫の顔を云々はそろそろ諦め・・・たかどうかはわかりませんがそれを叶えてあげることは無理なので、最期について希望があるなら子供としても沿いたいところ、と思わなくもないわけで。

それが最期のライフイベントになることが想定され、それがいつ来るかはぶっちゃけわからない。長寿リスクも大きくなる昨今、健康な状態から穏やかに、となるかどうかもわからない。要介護状態で長期間過ごすリスクも否定できない。

無論無尽蔵に費用や労力を注ぎ込まなければならないような事態はお互いに望むところではないと思われるのでどこまでもどこまでもということは無いでしょうけれど、相応の負担がかかってくる可能性もあるし、そもそも私自身が先に健康を崩す可能性だってあるわけで。

自分の最期がどうあろうと知ったことではないですがその前にスッキリはしておきたいという我儘な気持ちも偽らざる本心です。

親子の絆の儚さよ

親が最期まで子供に負担を掛けたくないと思っていたとてこの国やこの世界にとって血縁というのはそうそう軽んじられるものでは残念ながら無いわけで。制度としても双方の、あるいは第三者の心理としても。

とはいえ、親は子供がいつまでも大切で、子にとって親もいつまでも大切で、なんて誰にでも、どの家族にも当てはまる話ではないですよね。

誤解を恐れずにストレートな表現をするならば、「片付いてほしい」のですよ。お互いに健康で双方に物理的・精神的負担のない状態であればまぁ構わないですが、最期はさらっとでお願いしたい。でも早い時期にスッキリしたいという気持ちもゼロではない。

改めて自分の心の中を見つめ直すとそんな気分です。不仲だったとかであればまだ心の整理がしやすいのかもしれませんが、普通の家庭環境で育った末に辿り着いた心境。双方の性別によってもまた抱く考え方は違うのかもしれませんけどね。

嫌いなわけでも邪険にするわけでもないですが、一言で言うならば片付かんかなぁ、と。

おわりに

そういえばこんなことは書いていなかったな、と思い心境を吐露してみました。同じように考える人もそれなりにいるんじゃないかと思ってはいるんですけどね、このご時世。

そんな人の共感を得られれば幸いです。

それではまた!