人生の諦め方を数学っぽく考えてみる

2015年12月5日

人間誰しも大なり小なり色んな物を諦めて生きていると思います。どうやって自分を納得させて諦めているかは人それぞれだと思いますが。私は学生時代数学をかじっていたのですが、その当時講義を聞いていてふと閃いた数学的に人生を諦める哲学をご紹介します。などとかっこいい前フリで始めてみますけど、まぁちょっとした小話です。

前提知識

数学の話に絡めていくので覚えておいて欲しい言葉が3つあります。ちょっと説明が難しいのwikipedia先生を引用させてもらって後は雰囲気で。

ベクトル空間(線形空間)

線型空間(せんけいくうかん、英: linear space)は、ベクトルと呼ばれる元からなる集まりの成す数学的構造である。ベクトルには和が定義され、またスカラーと呼ばれる数による積(「スケール変換」)を行える。

もうちょっとわかりやすく説明されていると思ったのですが・・・。

高校でベクトルを習った方はシンプルに「平面」や「空間」をイメージしていただいて、数学の世界では小難しい理屈の元にもっと広い定義が可能なんだと思っていただければ。

基底

基底(きてい、英: basis)は、線型独立なベクトルから成る集合で、そのベクトルの(有限個の)線型結合として、与えられたベクトル空間の全てのベクトルを表すことができるものを言う。もう少し緩やかな言い方をすれば、基底は(基底ベクトルに決まった順番が与えられたものとして)「座標系」を定めるようなベクトルの集合である。

これもわかりにくい・・・。

平面で説明すると、平面上の全てのベクトルは(1,0)を何倍かしたものと(0,1)を何倍かしたものを足すことで表現できますよ、ということです。それがもっと広い定義で成り立つと思ってもらえればOKです。

次元

ベクトル空間の次元(じげん、英: dimension)とは、その基底の濃度、すなわち基底に属するベクトルの個数)である。

これはちょっと簡単かも。

基底のところで説明した平面上のベクトルを表現する基底になるベクトルは、なるべく簡単に表現すると必ず2つになります。なので平面は2次元なわけですね。空間の場合は必ず3つになるので3次元。

ん~ちょっと小難しいですけど、イメージだけ掴んで貰えれば話は通じると思うのでお手数ですがお付き合いいただければ。

経験とは感情である

話を元に戻しますと、「欲しいものを手に入れた」、「なりたいポジションにつけた」あるいは「やりたいことができた」などといった場合に、その経験をした時に自分がどういう感情を抱くか、というのが経験そのものであると思います。

初めてアルバイトをして多少の辛さ苦しさを感じつつ給料をもらってそれなりに嬉しかった。なんて経験を振り返ってみれば、その時起こった事実そのものはあんまり重要ではなくて、その時思ったこと、感じたことが経験を構成する主たる要素であると思います。

それは友人と喧嘩をした時、彼女ができた時、別れた時、受験に合格した時、失敗した時、就職した時、独立した時、結婚した時、子供ができた時、大怪我をした時、病気にかかった時、犯罪の被害にあった時、死ぬ時。

あらゆる経験に対してその時どう感じたかが重要だと言うお話。

人間の感情は嬉・怒・哀・楽を基底とする線形空間である

ここで数学のお話。感情というものは似たような体験をしてもどちらが嬉しかったか、楽しかったか、と言った比較ができるものですよね。それこそあの時の10倍楽しかった、10倍悲しかったなんて言葉をクチにしたことがある人もいるんじゃないでしょうか。

ここで人間の感情を幾つかの基本となる感情を基底とする線形空間であると捉えて見ましょう。するとどうなるか。経験とは感情であるわけですから、

全ての経験を基本となる感情の線形結合で表すことができる

わけですね。例えどんなに高価なものを手に入れた時の喜びであろうとも、例えどんなに困難な目標を達成した喜びであろうとも例えどんなに過酷な仕打ちを受けた哀しみであろうとも、基本となる感情さえ知っていれば過去に経験したことの高々何倍かに過ぎないわけです。

この理屈でどう捉えれば人生を諦められるのか

わかりやすいところから行けば、月の給料が100万円になった喜びは月給20万円の喜びの高々5倍に過ぎないとか。アメリカの大統領になった喜びや責任の重さはクラスの学級委員の高々50倍とかそんなもんじゃないの?とか。

付き合っている彼女や奥さんの顔とテレビの向こうの女優さんを比べて・・・せいぜい2倍か3倍くらいか?とか。旦那の年収はお隣さんの1.2倍か・・・はたまた0.8倍か、みたいな。

複雑な感情であっても基底となる感情はいくら混ぜても良いわけですから、楽しさ3倍怒りは2倍、悲しさは無くて楽しさそのまま、みたいなよくわからない感情も理屈上は表現可能なわけです。

というわけでもう人生の全てを味わい尽くしたのでお腹いっぱいです。

素晴らしい!
もう人生を諦めることに成功しましたね!

そんなこと証明できないけどね

とまぁ長々と語ってきましたけど、このロジック最大の問題は「人間の感情が線形空間である」事が証明できない点です。当たり前ですけど。学術的な話をしたいわけでは全く無くて、如何に人生を諦めて気楽に生きていくか、ということが大事なわけで。

それでもなんとなく納得感有りませんか?喜怒哀楽の4つが基本の感情でなかったとしても、感情を表す日本語をかき集めてきて、経験したことのない感情ってありますかね?

喜び、怒り、哀しみ、楽しい、愛情、侮蔑、屈辱、羞恥、不安、期待、満足、後悔、興奮、緊張、驚愕・・・まぁ辞書を引くなりGoogle先生に聞くと感情を表す言葉はたくさん出てくると思いますが、どれも大なり小なり抱いたことの有る感情なのではないでしょうか?

それだけ十分な人生経験を積んできたんだと思っていいと思います。それだけで素晴らしい人生だったと誇っていいはずです。

おわりに

この話は大学1年生の当時18歳の時に思いついたもので、自分的には渾身の閃きだったわけですが、如何せんこんな話をする場など有るはずもなく、今まで頭の片隅で寝かせていたのですが、せっかくブログを始めたので文章にして残しておきたくなったので記事にしてみました。

こーいう話にツッコミを入れたい人は別の方法で人生を諦めるのか、諦めずにもがき続けるのか解りませんがまぁ頑張ってくださいという感じですね。私はコレを読んで少しでも気が楽になった人がいたら十分に満足です。いなくても満足してますけど(笑)

それではまた!