葬儀費用の高さからか、宗教観が薄れていることからか、葬式不要、お墓も不要と考える人が増えてきている昨今ですが。個人的には極々自然な流れだと思います。私も何度か参列したことはありますがよくわからないですよね、アレ。
そもそも仏教徒じゃない
参列している人はもちろん亡くなった本人だってお経を上げてもらったところで何を言っているのかよくわかりませんし、仏教的な儀式的な行いにどんな意味が込められているのかははっきり言ってわかりません。
なんとなくみんなやってきたし同じようにやっとくか~なんて葬儀社におまかせで蓋を開けてみたら200万くらいかかりました、なんていうのが日本の葬儀業界なわけで。
正直シンドイ(゚Д゚)
最近は明朗会計なサービスも増えてはきたみたいですけどね。
ちゃんと葬式を上げろというのは最早呪いである
何も言い遺さずに亡くなってしまうと残された人にはちゃんと葬式を上げろという圧力がかかります。親戚が多い家系だとより一層。如何に配偶者や子供とて「お金ないんで直葬で」と気軽に選択できる雰囲気ではないことも多いでしょう。
葬儀は無くなった本人よりも遺された者のために行うものであるはずですが、本人が亡くなったことで遺族に負担がかかるというのは望むところでは無いでしょう。亡くなった人に断りを入れるなんて不可能ですから、まさに呪いと言って差し支えない。
誰も幸せにならないね。
そんなの嫌でしょう?
亡くなる前に考えを遺しておくべき
ちゃんと文句を言ってきそうな人に見える形でね。呪いを解くことができるのは生前の本人の意志だけですから。遺された人が「本人の希望ですので。。。」と免罪符を掲げられるようにしておくのが優しさだと思います。
免罪符と言っても悪いことしているわけじゃありませんよ。
事故などで突然亡くなってしまう場合なんかはどうしようもありませんけれど、ある程度の年齢になったら親戚や家族とそういう話をしておいた方が良いと思いますし、そういう話題も変に避けるべきではないと思います。
死なない人間なんかいませんから。
今は終活なんて言葉が流行っているくらいですから、亡くなる時の話題がタブーであることもなくなってきてはいると思いますしね。母はもう他界していますが父とはたまーにそういう話をしますよ。
おわりに
亡くなった人を悼む心は形式に囚われたものでは無いですからね。心の持ちようですよ。葬式のついでにお墓もそうです。お墓の前で泣いてもそんなところにはいないよ、なんて歌もあったでしょう?そういうことですよ。
それではまた!