貧困問題を個人の問題として捉えるのは間違っている

2015年12月18日

その人がなぜ貧しいか、という理由は千差万別なんですよね。しかし日本におけるなぜか貧困問題に対する対策は個別の原因を探って対処療法を考える風潮があるように感じられます。今回はその辺ちょっと考えてみます。

要は稼げてないってこと

貧しいということは稼げていないということなわけで。じゃぁ稼げていないということはどういうことか。

  • 働ける体ではない
  • 働く以外にやらなければいけないことがあるため働けない
  • 働けるが働き口がない
  • 働いているが賃金が低い

などなど。ざっくり分類しましたが、この中にも様々な原因のバリエーションが有り、人によって状況も様々なわけですよ。複雑な制度を色々混ぜて貧困対策を考えていると、組み合わせの悪さとかで結局救えない人が出てくるんです。

働いているが賃金が低い人のために最低賃金を上げると企業はコスト増を嫌って雇用を減らし、働き口が減るわけですから働き口がなくて働けない人が増える。

働ける体ではない人には生活保護を支給可能であるが、親の介護などで仕事を辞めざるを得なかったみたいな人には支給が行き届かない。

みたいな感じで。基本的にはもぐら叩きです。

貧困という状態を認めるかどうか

日本における救うべき貧困状態というのは生活保護受給基準に該当するかどうか、ということになっているのでしょうが、現実にはそれよりも水準が低い状態にある人が救われていないという現実があるわけで。

現状は救いたい人を選抜している状態なわけです。

最後のセーフティネットということになっている生活保護は申請に基づいて審査を行い、承認された上で支給されるわけですから、文字通り選抜しています。実質頼れる状態になかったとしても扶養義務者がいたら断られてみたりとアレコレと難癖をつけられて断られるようですから、救う貧困と救わない貧困があるわけですね。

その選抜を是とするか否か。

貧困状態にある人は例外なく救われるべきという考え方をするのか、本当にどうしようもない人だけを選抜して助けていき、残念ながら選抜に漏れた人には諦めてもらうという考え方なのか。そういう話です。

憲法的には前者なんじゃないの?

もれなく救うならベーシック・インカムしかない

ベーシック・インカムなら所得がない人、すなわち貧困状態にある人はいなくなります。貧困問題は確実に解決します。

もうちょっと言うと、それ以上救うべき貧困状態にある人が存在しなくなる。ベーシック・インカムを受けてなお貧困にある人は救われなくても良くなるという点も一つポイントだと思います。

パチンコや競馬でかっ飛ばした人はそのまま見捨てられます。

そういう意味で確実に解決するんです。

仮にベーシック・インカム以外の全ての社会保障制度が廃止になったとして、医療費が高額になるような病気や怪我の場合はどうしたら良いんだ?なんて懸念もあるかも知れませんが、そこまで高額になる治療を誰もが受けられることが必要かといえばそうではないと思います。

終末期医療には思うところが色々ありますが、無理な治療を継続することが是かといえばそうではないというスタンスです。この話はいつか別の記事で書こうかと思いますが・・・。

おわりに

ま、色々言ってみたところで貧しい人が日本からいなくなることは当面ないし、相対貧困率も高いまま世界から日本何やってんの?と思われていくんじゃないかなぁ~と思うところではありますが。

とりあえず理不尽な不幸は嫌いなので無くなったほうが良いと思っています。

それではまた!