勤労の義務とは働いて稼げということではない

最近ふと思いました。日本国憲法第二十七条。「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」でもコレって「働かざるもの食うべからず」的な話じゃない(そう解釈すべきではない)と思うんですよね。

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勤労の義務≠働いて稼ぐ義務

そもそも「勤労の義務」とは生きていくためのお金は働いて稼ぎなさいということでは無いと思うんですよ。勿論憲法を制定した時はそういう意図があったのかも知れませんが、憲法解釈なんて時代とともに変わって然るべきですよ。

「勤労」ってなんだよって話ですけど、働いて賃金を得ることではなくて、世の中回していくためになんかしなさいよ、って程度のものだと解釈して良いと思うわけですよ。

それこそボランティアみたいなものだって良いし、勿論普通に仕事したって良いし。何もしないってのがダメなだけで、何かしら世の中と関わりを持ちなさいと。

二十七条の二項にはこんな記述が。

賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。

勿論労働条件に関することは別途法律で色々定めますよ、って話なんですけどね。

賃金なし、就業時間なし、休息自由な勤労があっても良いじゃないか。

そう読めますよね?そういうことですよ。

全ての人が働いて稼ぐなんてナンセンス

世の中そんなに仕事は無いし、これからもどんどんなくなる。そんなの議論の余地はないですからね。これからは働かない人がちゃんと食っていけないとイケないんですよ。

今だってやらなくてもいい仕事、売らなくてもいいものをなんとかお金にしようとして疲弊している人が沢山いるじゃないですか。

だからブラック企業なんてもんが蔓延する。

技術が進んだこのご時世ですからね。衣食住にまつわる基本的な必需品は十分安価に供給できるわけですから、そんなに無理して仕事を作ろうとして価値の無いものをお金に変える錬金術に血眼にならなくてもいいじゃないですか。

本当にやる価値のある仕事、生み出す価値のあるものだけをやるべきだし創っていくべきだと思います。なんか働かなきゃいけないから強引に仕事の方を用意するか、と言うのはそもそも発想が間違っていますよね。

所得の再分配は国の仕事

税金や社会保障制度の最たる目的は「富の再分配」ってヤツですよね。よく資本主義の仕組みの上では弱肉強食が成り立つと勘違いしている人も居ますが、どんなカスにも健康で文化的な生活をおくる権利があるとしているのが憲法に書いてある社会の基本ですよ。

適切な再分配を行うために世の中の状況に合わせて再分配の方法や比率をコントロールしていかなければいけない。

国の大事なお仕事です。

要はさっさとベーシック・インカム(に類する仕組み)を導入しなさいよ、って話なんですけどね。

もうそういう時代でしょ?

おわりに

明日出社して私がする仕事は果たして意味の有ることなのか。

・・・意外に無意味ではない気もする(*´艸`*)

ならやっても良いかな。やりたくは全然無いけど。

でも営業職のあなたが明日顧客に売ろうとしているその商品、別に無くても良い物じゃないですか?と問われたら言葉に窮する人も沢山いるような気もします。

そういうの売るの辛くないですか?でも働かないと暮らしていけませんもんねぇ?だとしたらそれはそういう世の中のほうがおかしいんですよ、というお話でした。

それではまた!