下流老人こそ自己責任ではないか

2016年2月20日社会・政治

最近「下流老人」なんて言葉を耳にする、目にする機会が増えてきました。一言で言えば高齢者の貧困問題だそうです。若者に自己責任論を押し付ける昨今、今の高齢者の貧困なんてそれこそ自己責任の一言で片付く話じゃないですか?

下流老人とは

もうwikipediaにページが出来てましたね。それによるとこんな定義だそうです。

生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者

ん・・・生活保護基準相当で暮らせたら別に良いんじゃないの(゚Д゚)?

つかご老人だったら生活保護の申請も通りやすいものではないかと思うのですが。お決まりの働けるんじゃないの?っていう理不尽なプレッシャーも少ないでしょうし。

生活保護基準相当を下回ることがあれば生活保護を申請すればいいんだしさ。

うーん・・・何が問題なんだろう。

どうやら上から落ちることが問題らしい

軽くぐぐってみると「中流家庭」みたいな階層にいた人が、老後の組み立てを上手く出来ずに生活水準が落ちていくことが辛い、ということのような気がしますね。

ますますどうでもいいな(゚Д゚)

そりゃ子育てや家にお金を掛けて、それなりのプチ贅沢を満喫して、なんて生活をしていれば老後の蓄えなんてどうにもならんと思いますよ。

若い間、現役の間それなりにいい思いをしたなら歳食ってから多少貧しくなったって別に良いんじゃないかなぁ~とか思いますけどね。

人生のバランスをどの時代におくか、とか少しは考えたほうが良いというだけな話だと思います。

人生からのリタイアも簡単にできると良い

下流老人の特徴として以下の3点があるようです。

  1. 収入が著しく少ない
  2. 十分な貯蓄がない
  3. 周囲に頼れる人が居ない

収入が少ないのは生活保護があるのだからそれでいいんだと思います。医療費もかからなくなるんでしょう?

貯蓄が無いのは自分のせいでしょう。もし自分の生活を多少犠牲にしてでも子供に投資したとか、元気な頃に楽しく遊んだ、ということであれば別にいいでしょう。子供がちゃんと稼ぐようにならなかった、なんてのはただ投資に失敗しただけですからね。

というかもう年食ってるのに貯蓄とか別に要らんのじゃないか?と思うわけですが。あとは日々ほそぼそと暮らして天に召されるだけで良いのではないでしょうか?

歳を取ってからの人生にそれほどの価値があるとは思えないですし。

となるとやはり「お先に失礼します」的な軽いノリで人生をリタイア出来ると良いと思うんですけどね。どうも世の中の仕組みも、人間という生き物の性も不便にできているようで、そう簡単にリタイアさせてくれない。

多少グレーでも良いからなんか良い仕組みは出来ないものですかね?

100万とか200万とかそこそこまとまったお金を出せば綺麗に星になれるということであれば全然出せると思いますし、私なら出します。

おわりに

なるべくふわっとした感じで書こうとはしてみましたが。そもそも年食って貧しい老人が溢れるよりも若くて働く気力があるにも関わらず搾取されて貧しい人たちがなくならない事のほうが大きな問題ですよ。

問題の優先順位が大きく異る。

そこは間違えないで欲しいところですね。支えるべきは誰なのか、ということを。

それではまた!