墓参りは何のため、誰のためにするものか

2016年4月10日人生観

春のお彼岸の季節でございます。私も一昨日の土曜日に墓参りに行ってきました。信心深いわけでは全く無いのでまぁ季節の行事としてこなしていく感じになってきては居ますが、何が目的で誰得なんだ?という所を少し考えてみようかと思います。

お墓参りに行くことであなたが救われるなら

身近な人を亡くしたばかりとかで心の傷も癒えぬ時期というのもあるものでしょう。人によってはお墓に参って故人を思うことで自分の心の整理が付いたり、なんとなく故人への思いを伝えた気分になったりするかも知れません。

それが一番良いお墓参りですね。

昔からの習わしだというだけかも知れませんが、それに従ってお墓参りをすることで少しでも前向きな心持ちになれるのならお墓参りが最も意味のある行為になるケースだと思います。

亡くなってしまった人に思いや考えが存在するわけでは無いですからね。遺された人がどう受け止めていくか、というお話なだけでございます。

円滑な人間関係のため

さてここからが本題。普段平穏に暮らしている大半の人は別に誰かを亡くした心のスキマに苦しんでいたりするわけではございません。

人間生きてりゃいつかは死ぬものです。ぶっちゃけた話、人が歳食ってフツーに往生していくのは当たり前の話で、いつまでの引きずるような話では無いわけですよ。事件や事故ならまた話は違いますけどね。

1周忌とか3回忌とかその辺まではまぁそれなりに、って感じでしょうけど、それ以降は別に死んだ年寄りのことなどそうそう思い出さないし、思い出す必要もないと思うわけであります。

墓参りに行ったところで何か救いがあるわけでもないですし、何より心が沈んでないですからね、普段。じゃぁ何のために行くか。

行かないとうるさい親戚とかがいるでしょ(゚Д゚)?

親戚づきあいも面倒かも知れませんが少なくとも親戚筋でモメごとは年寄りが死ぬより遥かに精神的にダメージを被ります。

あと地域ぐるみでお寺さんとの付き合いみたいなのがあったりさ。私も日頃お隣さんの顔と名前も知らないような暮らしをしているのでなかなか素直に理解は出来ませんが、ちょっと都心を外すとご近所付き合いなどというものが世の中にはあるようで。

徳川時代の五人組の名残か!

互いに監視し、牽制しあう悪魔の仕組み・不文律が田舎にはあるということですよ。そーいう付き合いなしに生きてはイケないという人もいるわけです。

地方から都内に出てきてしまってもたまに帰ってその辺顔出しておかないとあそこの家の子はロクなもんじゃねぇとか陰口を叩かれかねなかったりするんじゃなかろうかと。

自分が当事者なら勿論、親の顔を潰さんようにとかそ~いうことにも気を使う必要があったりなかったりするってことですな。

下らない(゚Д゚)

気を使わなくて良くなったらそれまでよ

時代が進めばそういうのに気を使うような世代もどんどん墓の下に入り、近々思いの無い墓参りというタダの行事的なものは廃れていくと思います。もう今でもそうなんでしょうけど。

うるさくいう人が居なくなったら自分の思いの有り無しだけの問題ですからね。それに故人を思うのに墓だの仏壇だのという仏教然とした”モノ”に拘る意味はあまり無いですしね。

宗教的なお作法にうるさくないのが日本の魅力です。

そういえば中学生の頃「人類の次なる進化は宗教を捨てることだ!」とか言ってたな。何と戦ってたのかはもう覚えて居ないけれど。

歳を食った今でも宗教なんてものは宗教戦争の原因になる厄介なモノ位のイメージしか無いですが。あとは選挙前になると電話してくるウザい集団が居るとか居ないとか。

殺し合いを産むか友達を無くす仕組みってことか(゚Д゚)

話がそれましたが思いが無くなったら適当にしておきましょう、ということですね。

おわりに

お墓参りに限らず葬式でもなんでも人の死に関連して発生するイベントは遺された者のために行われるものですからね。

自分が残された時に一番自分に取ってしっくりくる関わり方を選ぶのが一番いいという話です。

残念ながら部外者がガタガタ抜かしてくることが多いのが世の常ですが、その辺は秤にかけて判断していけばいい、ということですね。

それではまた!